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2020.04.10

中野セントラルパークや周辺の歴史を紐解く(その2)

JR中野駅は1889(明治22)年4月11日に甲武鉄道(後の中央線)新宿~立川間が開業し、同時に中野駅も131年目を迎えています。駅周辺は時代を追うごとに再開発され、様々な顔を見せてくれています(下記写真は1906年ごろの中野駅ホームより)     そして2026年12月には、駅構内外にエレベーターも完備される西口改札が新設、そして中野セントラルパークが立地する中野4丁目と線路の反対側に位置する中野3丁目が南北通路でつながる計画となっています(下記は2026年12月に完成予定の中野駅新北口のイメージ図)。       ということで、2012年10月5日に開業した中野セントラルパークやその周辺の歴史を紐解く企画第2弾!(江戸時代までの「その1」の記事は下記をご参照ください) https://www.nakano-centralpark.jp/news/1956.html 西口改札の新設が待ち遠しい中野駅ですが、開業時には今の場所よりもっと西側、中野セントラルパークの南側あたりに位置していたことをご存知でしょうか?下記の写真は大正時代の中野駅、現在の中野マルイの裏通り・桃園通り側駅舎です。     下の写真は大正中期ごろ。駅のホームは2本、4番線までありました。       大正時代、現在の中野サンモールのあたりに中野駅北口仲通商店街が誕生し、賑わい始めます。まだまだ移動手段は馬車。建物も木造バラックで2階建て、1階が店舗、2階で居住というスタイルが中心の頃ですね。 昭和初期、現在の位置に移転し新駅舎として中野駅は建てられました。自動車が出始めた時期ですが、人力舎も写っています。     さて、中野セントラルパーク周辺はといいますと、明治時代後期から日本軍の軍事施設が建っており、陸軍の鉄道隊・電信隊・気球隊が置かれていました。下記写真は日本軍中野電信隊の気球格納庫。 初飛行に成功した日本の飛行機も写っていますね。     1939(昭和14)年、この日本軍の軍事施設に「陸軍中野学校」が誕生します。軍人がさまざまなことを学ぶ学校で、なんとスパイ技術養成機関として、通信傍受、忍術、潜入任務などもカリキュラムにありました。 大きな飛行船やパラシュート部隊、伝書鳩訓練などもあったようです。   当時の「軍用伝書鳩」の開発の様子。     ちなみにですが、中野セントラルパークの北側で下記のようなハトの集団を見かけます。実は民間の人たちがレース鳩を訓練しているのですが、これは陸軍中野学校で行っていた伝書鳩訓練の名残と言われています。   下記は「陸軍中野学校」に隣接していた「陸軍憲兵学校」の写真です。陸軍中野学校は秘密組織のため、憲兵学校の軍人たちも「となりに駐屯地がある」程度と思っていたらしいですね。   第2次世界大戦後、この場所は警察庁の警察大学校となり、2001(平成13)年に移転するまで全国の警察官が学ぶ場所となりました。近くの歓楽街はとても治安が良かったと聞いています。なぜなら、食べている人、飲んでいる人、みなさん警察官の可能性があったからです。面白いですね。     中野四季の都市にある東京警察病院は警察大学校の名残です。下記写真は、東京警察病院から中野セントラルパークを含む中野四季の都市(まち)を撮影したものです。 中野セントラルパークが立地する中野四季の都市(まち)は、幕府直轄地や日本軍、警察庁など公の管理下でした。300年以上もの時間を経て、やっと住民に開放された場所となり、オフィス、店舗、大学、警察、病院など様々な施設が集約されています。 中野駅西口改札の開設と南北通路、新北口の遊歩道が完成すれば、さらに多くの賑わいを見せること間違いなしですね!   ※リンク   中野区役所(中野写真資料館) https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/photo_museum/index.html