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2014.09.12

ここには何があったの?中野セントラルパークの場所の歴史

中野セントラルパークができて2年が経とうとしていますが、訪れる人々が「ここには元々なにがあったの?」という声が増えたように思います。
中野セントラルパークの場所には、どんなものがあったのか…江戸時代まで遡ってみました。

江戸時代、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉が統治しており、中野区役所を中心として、北は早稲田通りから南は大久保通りあたりまで、東はなかのZEROから西は環七あたりまで「犬屋敷」と呼ばれる犬の保護施設で、「お囲い御用屋敷」と呼ばれていました。
中野4丁目付近の旧町名「囲町」はこれに由来しているそうです。
綱吉の時代が終わり、犬屋敷の跡地には紅白の桃の木が植えられ、江戸の人々を楽しませていたそうです。
中野3丁目付近で「桃園」という言葉が多く使われているのは、これに由来しています。

時代が昭和に移ると、陸軍中野学校が設立されます。
陸軍内部でも存在が隠されていたスパイ技術養成機関であったとされ、現在では東京警察病院内に、陸軍中野学校のことを記した石碑があります。
戦後は陸軍中野学校跡地に、警察大学校が設立され、2001年に府中へ移転しました。
パークアベニューや中野四季の森公園内にも警察大学校時代の木々が何本も残っており、その時の名残を感じる方も多いのではないでしょうか?

その後の再開発で2012年に、中野セントラルパークとして生まれ変わりました。
犬屋敷と呼ばれた場所は犬のお散歩コースとなり、桃の木が植えられた場所には花桃の花が咲き、軍や警察の学校だった場所に大学が建ち、学生やオフィスワーカーに地元の方々が集い、新たな歴史を築く場となりました。