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2017.01.27

明治の中野にビール会社があった!?製粉業が盛んだった中野

中野坂上方面に出向くと、江戸時代の中野が麦や蕎麦などの製粉業が盛んで、その後ビール会社ができるなど地場産業が栄えていたという歴史に触れることができます。

江戸時代の青梅街道は需要な幹線道路の一つで、物資輸送路のライフラインであり、その中でも中野宿は最後の宿場とあって多くの物資が集まる場所でした。
中野坂上駅から近い神田川の淀橋付近にも昔は水車があり、様々なものを製粉していたそうです。
淀橋近くにある石森製粉株式会社さんの前には巨大な石臼が置かれており、当時の名残を確かめることができます。
また、神田川から程近いお寺「宝仙寺」の境内には『石臼塚』という石臼を供養するための塚があります。
製粉業が盛んだった中野では多くの石臼が使われていましたが、機械化の流れとともに石臼は不要となり、道端に放置されることが多かったそうです。
そんな捨てられた石臼を集め積み上げて、供養するようになったのが石臼塚の由来だそうです。
こんなに大きな塚が出来上がるほど、中野は多くの人が製粉の仕事をしていた時期があったということにただただ驚くばかりです。

明治18年には、中野で製粉業を営んでいた浅田甚右衛門が『浅田ビール』を発売しました。
ビール瓶には「NAKANOMURA」と表記したラベルが貼られ、上野で開かれた内国勧業博覧会で入賞するなど人気を博したそうです。
130年以上前の中野にビール会社があり、現在の中野にキリングループが移転してきたのも、なにか不思議な縁を感じる、中野の意外な歴史でした。