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2022.12.30
年末年始特別インタビュー記事~「中野サンプラザが愛された理由」前編
皆様、年末年始はいかがお過ごしでしょうか?
中野セントラルパークでは年末年始企画として、特別インタビュー『中野サンプラザが愛された理由』を全三回に渡り期間限定公開(2023年7月2日まで)致します。
2023年7月2日(日)に閉館が決定した中野サンプラザについて、株式会社中野サンプラザ執行役員の大濱 誠(おおはま まこと)さんからお話を伺い、民営化後のこと、スタッフとの関わり方、そして中野への想いなどを語って頂きました。
皆さんの中野サンプラザでの思い出を頭に浮かべながら、読んで頂けると幸いです。
——大濱さんは、中野サンプラザでどのような業務をされてきたのでしょうか?
1982年に品川駅にあるホテルパシフィックに入社し、その後成田の全日空ホテルに16年間務めさせて頂きました。レストラン部門で洋食・和食を担当し、その後宴会部門に移動し、宴会サービスの担当。そして最後に客室部門を担当させて頂きました。
中野サンプラザは1973年に「全国勤労青少年会館」として開業し、若い方に親しまれる分かりやすい名前を一般から募り、若さ満ちあふれるエネルギーの象徴「太陽=SUN」と、人々が集う場所「ひろば=PLAZA」が結びつき、「SUNPLAZA」という愛称が生まれました。ちなみに、開業当時は中野サンプラザから富士山がしっかりと見えていたようです。
そして2004年12月に民営化が決定し、その翌年の2005年に株式会社中野サンプラザに入社しました。私は宿泊、宴会、レストラン、研修室を担当しており、そちらの運営とオペレーションを担当してきました。中野サンプラザは複合施設なので、ホテルやレストランの他に研修室があり、カルチャー教室、企業研修などをしている場所があります。またテナント各社としてはスポーツジム、ボウリング場、インターネットカフェ、レンタルスタジオ、生花店、レンタルオフィス等も入って頂いています。
ホテルは16階から19階の高層階で客室が83室。宴会場は6階に結婚式のチャペルと神殿があり、そちらに小さいお部屋が4つ、13階に2フロア吹き抜けの高い天井を持つ大宴会場をはじめ、高層フロアに配した中小宴会場や落ち着いた風情の和室まで、様々な用途に対応した15部屋。レストランは20階に「日本料理 なかの」と「レストラン 121ダイニング」がございます。研修室は7~8階で13部屋、会議・セミナー・歌会・展示会等、様々な用途でご利用が可能です。
入社当初の時期は人手も足りない時期があり、多忙な時は私もスタッフと一緒にレストランや宴会場に立っていた時代もありましたね。若いスタッフたちの邪魔にならないように裏方などをこなす時もあります。あんまり年配の人間が前に出てしゃかりきやっていると、若いスタッフは萎縮しちゃいますからね。
——中野サンプラザは2004年から民営化がスタートしましたが、前後で大きな変化などはありましたでしょうか?また、どういった変化にご苦労されましたか?
民営化のスタート時、中野の皆様は特に“新しい中野サンプラザ”への大きな期待があったと思います。以前の全国勤労青少年会館時代が悪いというわけではなく、民営化後に新しい血として民間の会社からの経営陣に変わり、ホテル経験者も入って来ました。なので、サービスの質、ハード面とソフト面など「今まで以上に良くなるんだろうな」という期待があったと思います。
1973年の開業から民営化まで約30年間で培ったサービス内容で、良いものは残し、改善するものはスピーディーに改善する日々が始まります。お客様はもしかしたら、内装がトレンドの物に変わるのかな?レストランのお料理がもっと美味しくなるかも?設備を刷新するのかな?と思っていた方もいらっしゃったかもしれませんね。
しかし、現実的にはすぐガラッと一新させることはできないので、少しずつですが新しい設備を導入したり、内装をリニューアルしたり、そういったことはしていきました。
サービスについては当時「中野サンプラザのサービスが以前よりも良くなったね」というお声を頂くためには何をすべきか、毎日考えていました。民営化前の30年間やってきたサービスの中で良い物もたくさんあります。しかし、今まで通りのサービスを続けても限界はありますし、お客様が「まさかここまで!」と思ってくださるサービスの方が、満足よりも上の“感動”を感じてくださると思うのです。そのために「こういう行動をしたら良いのではないか」と現場を見ながら考え、当時の経営陣、調理、サービス、営業スタッフと毎日ディスカッションし、それをスタッフ全員で共有してもらわなければなりませんでした。
当時は元々のスタッフの雇用継続が民営化の1つの条件でもあったので、民営化前から在籍しているスタッフが多くいました。私たちは中野の地域の期待に応えるべく行動をしているのですが、スタッフに新しいやり方を理解してもらうのには時間が少しかかっていたと感じます。私が入社した時は、中野サンプラザには百数十人くらいのスタッフが在籍していて、その内ホテル業界から来た人間は20~30人しかいなかったのです。民営化以前からのスタッフは最初、新しいやり方を受け入れることが難しいことも多かったと思います。しかしスタッフの気持ちも聞きながら「行動できない理由は何なのか」を根気強く話して、理解してもらい、毎日毎日の継続の日々でした。どんなに美味しい料理でも、どんなに施設備品が新しくなっても、それをサービスするスタッフのおもてなしの心が高くなければ全てが台無しなのです。
例えば宿泊のお客様がお荷物を持ってチェックアウトする時「お荷物お手伝いしましょうか?」とお声がけします。今では当たり前ですがスタッフ自らが一歩進んで行うということ、当時はそういったことがない時代でした。中野サンプラザには車寄せがなくお客様が直接フロントにいらっしゃるので、いわゆるポーターやベルボーイといったセクションがなかったのです。
さらにより良いサービスのためには、お声がけの際にお客様が何を望んでいるのか、こちらからアクションして何ができるかを考え「こうした方がお客様のためになるんじゃないかな」というような話をスタッフに呼び掛けていきました。ただお客様が何を求めているかということを聞かなくても分かれば凄く良いのですが、やっぱりなかなか分からないものです。求めるものが分かるためにはお客様とコミュニケーションとりながらスタッフが感じ取らないといけないし、会話を材料として色々読み取らないといけない。私たちの仕事はお客様が何を求めているかを考え、それに最大限パフォーマンスすることによって、お客様が満足されたり感動されたりすることだと思うのです。そういったことの積み重ねがあり、お客様からは「中野サンプラザのサービスは良くなったね」との嬉しいお言葉を少しずつ頂ける様になってきました。
こうした新しいやり方を周知するのに2~3年はかかったと思います。その間にスタッフの欠員が出れば補充も行い、半分くらいの人が入れ替わり、ホテル業界はもちろん、それ以外の業界の人も入社してくれました。
——民営化直後と現在の中野サンプラザでは違う点などはありますでしょうか?
サービスの一新とともに、20階にあるレストランのお客様の層に変化があったと感じました。着任当時は中野の地域方々の利用とコンサートや宿泊されるお客様の利用が、半々位の割合だったような記憶があります。
昔は演歌や歌謡曲のコンサートが多く、いらっしゃるお客様も中高年層で、そのまま中野サンプラザにお泊りになられる方も多かったです。地方から来られた方や年配の方は知らない街に繰り出すことが難しい方もいて、そういった方はそのまま中野サンプラザ内のレストランを利用されるケースが多かったと思います。なので、当時はコンサート・宿泊のお客様が半分、そして中野のお客様が半分といった印象でした。時代と共にコンサートホールの利用のあり方も変わり、若い世代のお客様も多くいらっしゃるようになりました。
民営化後は料理やサービスも変わり、今では中野のお客様に使って頂くことが多くなってまいりました。週末はハレの日やお祝いごと、ご婚礼や顔合わせの会食でも使われます。平日のランチを友人知人とともに召しあがりにきてくださる方や、ご家族でのご利用も多いです。
中野サンプラザは比較的小回りのききやすい規模のレストランなので、ご予約の際にお客様がどういった趣旨で利用されるのか、その段階で確認を取るようにしています。そして用途によってこちらからご提案をさせて頂くこともあり、好き嫌いやアレルギーなどのご要望はできうる限り調理スタッフにメニューシートで伝えさせて頂いています。また12階にはメイン厨房がありケーキをホームメイドで作れますし、テナントに生花店も入っているのでお花のご用意もできます。
そうやってサービスが変っていき、お客様のお褒めの言葉を少しずつ頂く様になり、現在では圧倒的に中野の地域のお客様のご利用が増えましたね。
《中編の更新は2023年1月3日(火)を予定しております》